iPS細胞と眼疾患

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2013年関西懇話会講演
「iPS細胞と眼疾患」

   大阪回生病院 佐藤文平先生

 今日はお集まりいただきまして、ありがとうございます。

 山中伸弥教授がノーベル賞を取られて以来、実際診察をしておりますと、「iPS細胞は、私の病気にはどうですか」という質問を頻繁にお聞きします。私自身勉強しておかなければという気持ちがあり、今日はちょうどよい機会ですので、このテーマでお話させて頂きます。
【ES細胞とiPS細胞】
  iPS細胞よりも十年早く、万能細胞として発見されたものにES細胞(Embreyonic stem cells)があります。日本語では「胚性幹細胞」といいますが、E(Embreyonic)は「胚の」という意味で、S(stem)は「幹」という意味です。

 今日の主役であるiPS細胞は、山中教授の命名によるもので、induced pluripotent stem cellsの略称です。incducedは誘導されたとか、作られたという意味で、「人工」と訳します。pluripotentは「多能性」、多くの能力を持っているという意味です。stem cellsは、ES細胞にもありましたが、「幹細胞」と訳します。合わせて日本語では、「人工多能性幹細胞」と呼んでいます。

 iPS細胞のiの字を小さくしたのは山中教授のアイディアです。アップル社のiPodやiPadとよく似たネーミングにして、皆に親しまれ、よく使われる細胞になって欲しいという希望から、命名されたと聞いています。
【最初の臨床試験】
 昨年アメリカのカリフォルニア人学で、ES細胞を使った世界で初めての臨床試験が行われました。以前アメリカでは脊髄損傷に対してES細胞を使った臨床試験が行われたのですが、これを後援していたベンチャー企業が、採算が取れないため途中で撤退してしまい、結果が出ないまま終わっています。

 結果が出たのは加齢黄斑変性に対するES細胞の臨床試験です。実際は先天性黄斑変性のスターガルト病(Stargardt disease)という特殊な病気と、加齢黄斑変性の各一例ずつという僅か二例だけの臨床試験です。

 ES細胞から網膜色素上皮細胞を作り、スターガルト病の患者さんと加齢黄斑変性の患者さんに移植し、四ヶ月間観察が行われました。この臨床試験はあくまで安全性を確認することが目的で、視力が出るとか、病気が治るとかいうことを目的にしていません。結果として移植細胞は
きれいに網膜の下に生着しました。

 ただ、くっ付いただけではなく、過剰に増殖したり、悪い腫瘍に化けたりということも起こりませんでした。ES細胞は他人の細胞なので、拒絶反応が心配だったのですが、それも起こらなかったと報告されています。

 安全性については問題がなかった上に、始めから期待されていなかった視力も、スターガルト病の方は、手の動きしか見えなかったのが、アメリカ表示で800分の20ですから、日本の表示で0.02ぐらいまで上昇して、大変な効果が出たとされています。加齢黄斑変性の方は若干視力が上がったのですが、これはほんの僅かであったということです。今年から神戸の理化学研究所で、高橋政代先生をリーダーとして、加齢黄斑変性に対するiPS細胞の臨床試験が行われます。

 加齢黄斑変性に対しては色々な治療法がありますが、それらを全部試みてもだめだったという非常に重症な方、六例が選ばれています。まず患者さん本人の皮膚からiPS細胞を作り、これを特殊な培養環境のシャーレの中で培養して、網膜色素上皮細胞に分化させます。

 今迄は、この網膜色素上皮細胞をそのまま網膜の下に注入するという方法が行われていましたが、今回理化学研究所の臨床試験では、この色素上皮をシートにします。網膜色素上皮は、本来一層の細胞なのですが、その形に近づけるためにシートにして、そのシートを、硝子体手術を使って黄斑の裏側に移植するという方法です。硝子体手術は、網膜剥離に対して行われるものと基本的に同じです。

 最初の臨床試験ですから、安全性の確認が大事な目的で、高橋先生のお話では、10年間経過観察するということです。もちろん10年間、この人達の経過観察だけをするのではなく、最初の6ヶ月、一年と経過観察して安全性が確認されたら、進行の少ない早期の加齢黄斑変性の患者さんに対しても拡大していく予定です。

 高橋先生は京大と神戸中央市民病院で網膜色素変性症の専門外来をされていて、遺伝子相談もされています。網膜色素変性症は遺伝性の視細胞の病気で、多くの方は20歳ぐらいまでに発症します。最初は夜盲になり、それから少しずつ視野が狭くなっていきます。

 50年60年と長期にわたって進行していく慢性の進行性の病気です。高橋先生は最初からこの病気を治療したいと思っていらして、まずは加齢黄斑変性で臨床試験を行い、臨床試験の結果問題がなければ、将来は網膜色素変性症の患者さんへ応用して、究極の目標としては視細胞自体を再生し、網膜の全ての疾患に対する治療法としていきたいということです。

 この臨床試験については、来年ぐらいにある程度の中間報告が聞けると思います。
【加齢黄斑変性が選ばれた理由】
 アメリカでも日本でも加齢黄斑変性などの網膜疾患が、再生医療の最初の臨床試験に採用されています。どうして心臓など他の臓器が選ばれなかったかといいますと、再生医療の臨床試験が行われるに際して、網膜の細胞にはいくつかの利点があるからです。

 網膜の病気は失明原因の80%を占めています。日本の失明原因の1位は緑内障ですが、2位は糖尿病網膜症、3位網膜色素変性症、4位近視性黄斑変性、5位加齢黄斑変性というように、2位から5位6位あたりまで網膜の病気が占めており、それら全部を合わせると約8割、困ってい患者さんが非常に多いのです。要するに臨床試験を行う意義が高いということがあります。

 次に網膜色素上皮の培養移植は30年ほど前から行われていて既に、長い歴史があります。もちろん人間に移植されるようになったのはごく最近ですが、海外では中絶胎児などから採取した網膜色素上皮細胞を培養して、移植することが行われています。基礎実験の蓄積があるということです。

 3番目に黄斑部は1.5ミリ〜2ミリぐらいの大きさしかありません。治療対象が小さいので、iPS細胞からたくさんの細胞を培養する必要がなく、前段階の準備が楽だということがあります。iPS細胞を培養して色々な組織を作る実験があちこちで行われていますが、大きな固体状のものは作りにくいのに対し、網膜色素上皮細胞は一層の薄いシートですから、作りやすいという利点があります。

 もうひとつは、癌になりにくいということがあります。網膜色素上皮や視細胞の癌はほとんどありません。癌化しにくい細胞であることが解っていますので、臨床試験でiPS細胞が異常に分化して増殖しても、癌になるという心配はまず無いでしょう。

 網膜には免疫抑制機能があるといわれています。iPS細胞は拒絶反応が起こりにくいのですが、網膜の臨床試験は特にこういう点においても安全であると考えられます。これらの理由で、網膜の臨床試験が、アメリカでも日本でも第一番目に行われるようになったのだと思われます。
【加齢黄斑変性の症状・原因】
 黄斑部の大きさは2ミリぐらいで、網膜の中心部にあります。加齢黄斑変性の前駆病変は、ドルーゼン(drusen)という白い斑点状のものが、網膜下に出来ることです。このとき視力には何の影響もありません。自覚症状はないのに、たまたま検査で見つかる方が大勢います。これは網膜素上皮細胞の機能が悪くなり、老廃物がたくさん溜まってできるものだと言われています。

 ドルーゼンの次には、色素上皮自体が傷んできて、色が白くなってくる患者さんがいます。この時点でもまだ視力には影響がありませんが、実はこの段階が非常に重要で、この間に病気を次の段階へ進めるホルモンVEGF(血管内皮増殖因子)が産生されています。

 そしてしだいに出血や網膜剥離が起こり、こうなってしまうと、中心部の視力は著しく低下して、0.1以下になってしまうという恐い病気です。アメリカではかなり前から失明原因第一位です。白色人種にとって、この病気は失明原因一位なのですが、日本では長いこと表に出て来なかったのです。しかし、最近の統計では急に五位ぐらいになり、患者さんの数が増えていることがかっています。

 加齢黄斑変性の原因は、網膜の裏側に新生血管が生えることです。脈絡膜から新しい血管が生えてきて、色素上皮の下や上に侵入します。新生血管は非常に脆く、糖尿病網膜症でもすぐに破れて大出血するのですが、黄斑部にある小さな新生血管も容易に破れて出血を起こします。

 加齢黄斑変性の初期は、見ようと思っているところが暗く見えたり、歪んで見えたりし、そのうちしだいに見えない範囲が大きくなっていきます。九州大学が昔から地域研究、定点研究を行っている久山町という町があるのですが、ここで行われた調査によれば、日本での有病率は、だいたい1.3%です。これは2007年の統計で、この10年前の統計では0.8%でしたから、明らかに増えています。

 アメリカでは推定患者数200万人と言われており、日本でも推定70万人と考えられています。最近は人口の高齢化と生活様式の欧米化によって、加齢黄斑変性は増加傾向にあります。この病気の直接の原因は脈絡膜の新生血管ですが、その前に網膜色素上皮の機能低下が起こることが、最も重要な原因で、これは加齢によるものです。加齢に加え、喫煙、高脂血症、紫外線による酸化作用など、環境要因が主要な原因と言われています。最近では遺伝子研究が進み、遺伝子治療も行われつつあります。
【加齢黄斑変性の治療】
 以前は、光凝固をやっていましたが、光凝固をすると網膜の視細胞も傷んでしまうので、病気は治っても、視力はよくなりません。経瞳孔的温熱療法という緩いレーザーを当てる治療も一時流行しました。これは視細胞に対する影響は少ないのですが、病気を治す効力も低く、うまくいきません。

 現在光凝固を使った治療で残っているのは、光線力学療法で、色素を吸収するフルオレセイン製剤を注射した後、網膜にレーザーを照射します。変性部にフルオレセイン製剤が集まり、レーザーの光を新生血管のところだけに集約して当てることができます。新生血管だけを治療し
て、網膜の視細胞は傷めずに済むという方法で、この治療法は現在も行われています。

 光凝固のほかに、以前は手術も試みられました。新生血管を取り除く手術や、黄斑部の場所を変える移動術が行われていましたが、現在はほとんど行われていません。現在この病気の治療の主流は、抗血管新生療法というものです。

 新生血管を発達させる原因が、血管内皮増殖因子(VEGF:Vascular Endothelia Growth Factor)であることが解りました。この血管内皮増殖因子を抑える薬を眼球に注射することで、新生血管自体を治すという方法が、今一番よく行われています。

 この治療は新生血管を抑制して、視力保持を可能にするもので、利にかなった方法ではありますが、網膜色素上皮自体の修復はできず、根本的な治療にはなりません。更に高額で、硝子体注射を何回もしなければいけないので、患者さんの負担が大きく、注射することによる眼内炎、
脳梗塞という有害な事象もごく稀にですが起こります。更によい治療法が望まれており、その有力な候補として網膜再生医療に対する期待が高まっています。

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